2001/02/18(Sun)チーズバーガー 嘉手納カーニバルは7月4日におこなわれる。アメリカの建国記念日だ。その日は嘉手納エアーベース内で盛大におこなわれる。もちろんゲートもオープンにして誰でも出入りが自由に出来るのだ。普段は入れない米軍基地に県民はどっと押し寄せる。30年前の嘉手納カーニバルを知っている人は「昔のカーニバルが良かった」と言う。それは何故?「ゲームやアトラクションや食べ物屋はアメリカ人がやっていたので面白かったし美味しかった」と話す。現在は沖縄人のテナントが多い。だから県内各地のイベントとかわらない出店ばかりだ。嘉手納エアーベース特有の出店が少ないという事である。 日本とアメリカの味は全然違う。それに量もけた違いだ。大胆にも歩きながら食べるスノーコーン(かき氷)、アイスクリーム、ホットドッグ、ポップコーン、ピザ、チーズバーガー、スペアリブ、ステーキなどは味がアメリカじゃないと納得いかない。画像は嘉手納ロータリードライブインのチーズバーガーです。アメリカ的な味がなくなりつつある沖縄のレストラン。その中でも嘉手納ロータリードライブインのチーズバーガーが昔の味そのままです。一度食べにいってみて下さい。僕は世界一おいしいチーズバーガーだと思います。 |
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2001/02/19(Mon) 結婚式 結婚式には音楽がとても重要だ。沖縄の場合は琉球古典音楽から使う。初めは(幕開けという言い方で表現する人がおおい)は「かぎやで風節」で始まる。踊りつきだ。大体新郎新婦の叔母さんなどが踊る。もちろん叔母さんがいない時は兄弟や姉妹が踊る場合もあるのだ。最近音楽はテープ出しが多い。盛大におこなう時は地謡(ジユーテー)がいる。地謡は生で伴奏する人たちのことをいう。地謡だけで20人以上舞台で演奏することもある。しつこいようだけど、とにかく沖縄の結婚式は音楽なしでは語れない。頭は重厚な「かぎやで風節」で始まる。最後は当然「カチャーシー」だ。「カチャーシー」とはかき混ぜるという意味である。この場で喜びをみんなでかき混ぜようということだ。「カチャーシー」は曲名ではなくリズムのことをさす。早い三連符のリズムが特徴である。三線と島太鼓と指笛、囃しなどにぎやかだ。結構盛り上がります。 今日は上原力さんと兼次久美子さんの結婚式でした。最後の「カチャーシー」は二人でおどり、そのあと招待されたお客さんと一緒に舞台で踊る。 |
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2001/02/20(Tue) 街 久しぶりに横浜に行った事がある。久しぶりと言っても25年ぶりだ。まるで違う街に変化していた。駅前のビルも道路も‥‥。まるで浦島太郎状態である。始めて来た街みたいだ。東横線の終点桜木町駅も昔の面影がまるでない。25年前に駅前のあるキャバレーでバンドのバイトをしていた。駅から徒歩3分だ。でもそのビルも見当たらない。そこに続く道路も見当たらないのだ。「本当にここが横浜か?」と我が目を疑った。何か昔の手がかりを探しても見当たらない。「ひょっとして僕の記憶がおかしいのか?」と自分自身さえ疑ってしまう。 沖縄市役所から見た市内。役所は高台に立っている。その高台の中腹に川があった。湧く水である。この周辺の人たちがよく洗濯しに来ていた。畑や野原が広がっていた場所は民家が立ち並ぶ街になっている。役所からこの風景を久しぶりに見た。ドキッとさせられる。民家だらけだ。この環境が沖縄中に広がっていくと思うと一体どうなるのだろう? |
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2001/02/21(Wed)海 高校時代に見た沖縄の「海」はきれいだったと思う。その時は沖縄の「海」が美しいとはおもっていなかった。ようするに比べるものがないから「海」そのものが美しいのかそれとも汚れているのか判断がつかないのだ。高校卒業後初めて東京にいった。その時に見た東京湾の「海」の色は黒である。とても「海」には見えない。その時沖縄の「海」はまったく別物に感じた。底まで見える「海」は沖縄だからだと確信したのだ。東海岸にも西海岸にもテーブル珊瑚はたくさん生きていた。その周辺には熱帯魚の群れが泳いでいる。潮のひいた浅瀬には生き物もたくさんいた。でも最近沖縄の「海」も汚れて来たのだ。珊瑚は少なくなった。特に街に面している海岸沿いはよくない。「海」に生活用水やゴミが流れ込むのだ。なんとかしなくちゃ。本当に何と会しないといけないのだ。 釣り人がいます。魚がえさに食い付くのが見える。そんな釣りって楽しいのかな?釣りは釣ってみるまでは何が釣れているか分からないから面白いと聞いた事がある。 |
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2001/02/22(Thu) アメリカ軍 子供の頃に見たアメリカ軍の演習は実践さながらでした。特に戦闘機による爆撃は見事だ。上空から急降下して爆弾を落していくのだ。スクリーンで見る戦争映画とはまるで違う迫力がある。リアリティがあるからだ。映画で見るジェット機の爆音はそれほど耳を裂かない。それはオーディオ機器を通したサウンドだからだ。本物の音は凄まじい。北谷の上空に時々戦闘機が飛ぶ。嘉手納基地から離着陸の訓練をしているのだ。ジェット機のエンジンの噴射がもろに向けられたあかつきには鼓膜が破けそうになる。沖縄で一番爆音被害にあっているのが嘉手納町だ。街全体が嘉手納エアーベースに隣接している。嘉手納町や北谷町は「戦闘機のターンを東シナ海沖でやれば騒音が和らぐ」とアメリカ軍に提案しているらしい。アメリカ軍は聞いているのか聞いてないのか相変わらずうるさい時もある。多分町民の声は無視しているんだろう。沖縄県にアメリカ軍が在中している間はお互いに尊重しあう姿勢がないといけない。 |
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2001/02/23(Fri) 亜熱帯 沖縄の野山を見ると年中緑だ。冬でも枯れ葉が落ちると言う事はない。もちろん野山が紅葉する事はないのだ。沖縄の平均温度は22度から24度だそうです。沖縄諸島は亜熱帯地域の最北端だそうだ。十数年前大和の大学の先生方が沖縄によく来た。新種の発見が目的だ。沖縄にはまだまだ発見されない小動物や植物が存在しているらしい。海でよく遊んだ人なら誰でも「何だこれ?」と思った事はあると思う。それが新種だったかもしれない。第一発見者でもない物知りの学者たちは新種として発表する。すると発表した人の名前入りで学会で紹介されるのだ。新聞でも大々的に記事として扱われ有名人になる。それでも現地の人たちは「へー、すごいね」と一言発してそれで終わりなのだ。昔から見かけたものが新種であろうとも自分達の生活には何も関係ない。 画像は「くわでぃーさ」の木です。どうみても紅葉しているように見える。 |
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2001/02/24(Sat) センター通り 小学生の頃センター通りに住んでいた。センター通り(現在の沖縄市中央パークアベニュー)は質屋、レストラン、バー、刺繍店などが軒を並べていた。通りの客の90パーセント以上がアメリカ兵である。基地経済のお手本的な街だ。ぺ−デーは思いっきり賑わう。オフリミット(アメリカ兵の夜間外出禁止令)が発令されたらお金が落ちない。はっきりしている通りだ。それに事件や事故も多発していた。特に夜は危ない街とも言われていた。ほとんど毎晩米軍のMPや沖縄のパトカーが出動し、サイレンの音を耳にした。とにかく凄まじい街だったのだ。 昼の通りはのどかだ。三線店に来たアメリカ兵が「チェコ」を教えると言う。とても簡単なゲームで小学生の僕でもすぐにおぼえられてた。何回かゲームをするうちに僕が勝つ場合もある。そのアメリカ兵は「そんなはずじゃなかった」と言いたそうな顔をした。でもとてもいいアメリカ兵でした。画像は「AFN」のクイズでプナプナのディナー券に当選したエリックとミスティー(夫婦)です。 |